愛知県半田市亀崎にある伊東合資会社。その旧酒蔵建物活用、そして敷嶋復活のプロジェクト。1:伊東合資の歴史亀崎と伊東合資『敷嶋』愛知県半田市亀崎は、江戸から昭和初期にかけ、東海地方を代表する酒のまちでした。水も米も豊かでお酒作りに適していること──海に面しており、重量物である酒でも船で運びやすいこと──そのような地政学的な利があり、江戸時代に大いに繁栄しました。伊東合資はそのような時代感の中で『敷嶋』という日本酒を江戸に供給し、人気を集め、全国に知られる銘醸蔵となったのでした。繁栄と廃業清酒需要の多かった時代、伊東合資会社は、大正 12 年(1923 年)には名古屋税務局監督局管内で唯一『横綱』に位置づけられるほどの、中部地方を代表する酒蔵でした。しかし、鉄道インフラが整備されたことでの港町の優位性の低下、清酒需要の低下、により亀崎のまちも賑わいをなくしていきます。そして伊東合資も平成 12 年(2000 年)に 200 年を 超える歴史に一度幕を閉じることになりました。2:伊東合資会社の再出発伊東優さんという人このプロジェクトは、伊東家9代目、伊東優さんのまさに“清水の舞台から飛び降りるような”勇気からスタートします。名門高校、名門大学、上場企業、そんなエリートコースを投げ捨てての、日本酒ビジネスへの参入です。資金の調達、酒造り、設備の用意、免許の確保、販売ルートの開拓。尋常ではないエネルギーで色々なものを推し進めました。建物の活用とビジネスお酒を生産できる体制を整えたとき、次の課題が建物でした。200年の歴史を支えてきた、今では考えられないような規模の建物群。しかし、それは放っておけば、どんどん朽ちていくばかり。さらに難しいのは、ただ修繕をすれば良いだけの話でもありません。お金を産むビジネスもセットで必要になってきます。“何をするべきか”と”何ができるか”頭を悩ませたのが“何をするべきか”と“何ができるか”でした。“弱者はニッチになって、富裕層向けの高単価商品を扱え”という模範解答がちらり。一方で“敷嶋は庶民の酒だった。だから多くの方へのサービスにしたい”という想いもちらり。そんな“何をするべきか”という葛藤の前に、さらに建築基準法やコストなどの“何ができるか”も立ちはだかります。“にじみ”と“かめくち”そのはざまで、うまれたのが“sake cafeにじみ”と“蔵の店かめくち”です。いわゆる飲食店と物販店です。しかし“人生が小さく見える”程の古い建物の空気感、そして亀崎の地と共に伊東合資の歩んできた背景が、じんわりと感じられるようなお店となりました。3:これから今はさまざまなイベントもあり、多くの方が伊東合資に足を運んでくれるようになりました。しかし、まだまだ乗り越えるべき課題は山積みです。そんな伊東合資だけでも大変ななか、伊東さんの目線の先にあるのは、亀崎のまち。「伊東合資が起点になって、まちに変化を起こせないか」そんなひとつの古豪が起こす“まちの奇跡”をこれからもお手伝いさせていただきながら、感じていきたいと思います。